日本興亜との融和役割のみえる化で

「9.11」の5カ月前の4月1日、まず第一生命との提携も担当し、第一ライフ損害保険との合併図も描いていく。同じ日、日本興亜損害保険も発足し、翌年には太陽火災海上とも合併した。このグループと、再編の第二幕で手を握り、2010年4月に持ち株会社のNKSJホールディングスを設立することになる。

長い道程で、常に腐心したのが、融和だ。合併へ向け、「どこそこの地域には、どの社の拠点を残すか」といった議論を始めると、対立が起きやすい。そこで、最初に3社で合併契約を結んだ際に「5つの判断基準」にも合意し、大きなポスターに載せて、3社の社内の随所に貼り出した。合併後に不満や残さないために「目にみえる基準」が不可欠、と考えた。

合併直前に総合企画部長に就任して、すべての作業の司令塔役となったが、社内で「櫻田は、他の2社に譲り過ぎだ」との声が消えず、苦労した。いくらそう言われても、どこかで妥協しなければ、合併はできない。役員会で反対され、ときには嫌悪感のようなものまで示された。でも、前回()触れた人事制度改革のときと同じで、「嫌われてもやる。ダメなときは、仕方ない」との姿勢を貫く。何があっても、ひとたびつかんだ大チャンスは、放さない。

「天与不取、悔不可追」(天の与うるを取らざれば、悔ゆとも追うべからず)――天が与えたものを受け取らなければ、後で悔いても、もはや追ってはいけない、との意味。『三国志』の主役の一人である劉備の逸話に出てくる言葉で、せっかく訪れたチャンスをつかまなければ、大願成就は叶わない、と説く。欧州にある「幸運の女神には後ろ髪がない」ということわざと似ている。守旧派の風圧が強くても、チャンスをとらえて放さず、道を切り拓いていく櫻田流は、この教えに通じる。

たしかに、天は次々にチャンスを与えてくれた。例えば、アジア開発銀行で働いていた30代の終わり、マニラで年次総会があり、安田火災の国際担当の副社長がやってきた。食事に誘われ、「これからはアジアだ。日本に戻ったら、アジア分野で働いてもらうぞ」と激励された。

知らなかったが、副社長は、それだけで帰ったわけではない。日本の大蔵省からの出向者たちにも会って櫻田評を聞き、本社に戻ると、人事部長に「櫻田はいい、マークしておけ」とほめてくれていた。その人事部長が人事制度の改革を始めようとしたとき、ちょうど担当課長が異動の時期を迎え、後任候補の3人の中に自分が入った。そして、特命課長に選ばれ、全社に名が知られるほどの改革をやらせてもらう。

人との出会いに恵まれ、「女神」の差配を感じたこともある。でも、あのときに合併をやめて安易に現状維持の道を選んでいたら、「女神」は遠くへ去っていたのだろう。あまり、計画的に考えて動くほうではない。でも、せっかく視野に入ってきたものを、「天与不取」で終わらせてしまうことは、防いできた。

この9月、いよいよ持ち株会社の下にある損保ジャパンと日本興亜損保の事業会社2社が、合併する。また、融合が課題になるが、あまり心配していない。持ち株会社の会長で日本興亜社長の二宮雅也さんとは、妻と話す時間よりも多いくらい、いつも話し合い、考え方をそろえている。だから、仮に社内外から不満や苦情がどちらに届いても、同じ答えになるので、混乱は起きない。役割分担も、「5つの判断基準」のときと同様に「みえる化」する。

2人とも、「天与不取」などということは、間違ってもしない。

(聞き手=街風隆雄 撮影=門間新弥)
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