こんなエピソードがある。彼はあるとき、母親に「お母さん、ガチョウはなぜ卵の上にすわるの?」と聞いた。ナンシーは「温めてやるためよ」と教える。すると「なぜ温めるの?」と質問は続く。彼女も面倒がらず「卵からガチョウのひなをかえしてやるためなのよ」と説明した。

ほかの子供なら、そこで納得して終わりである。しかし、なんでも試してみなければ気のすまないエジソンは、ガチョウの卵をかかえて、自分でかえそうとした。自分の体温で温めたのだ。もちろん、かえるはずもない。人間の体温では卵をかえすことはできないことを彼は学ぶ。

エジソンは8歳のときに小学校に入学したが、3カ月後のある日、彼の生涯を決定するような体験をする。学校を視察に来た視学官に「エジソンの頭はどうかしている。これ以上、学校にとどめておくのは無駄である」と、校長が話しているのを耳にしたのだ。

エジソンは泣きながら家に帰り、母親にそのことを話した。怒ったナンシーは息子を連れて学校へ乗り込み、校長に激しく抗議して息子を退学させてしまう。ナンシーは、18歳で結婚する前に1年ほど教師をしていたことがあったが、自分の手で教育していくことを決意したのだ。

ナンシーは、息子の興味を引き出すことに努めたという。その教材は子供向けのやさしいものではなく、ギボンの『ローマ帝国衰亡史』といった、大人向けの歴史書を読んで聞かせた。

母親の期待や信頼にエジソンは十分に応えた。9歳のころには、自分から進んでシェークスピアやディケンズのような古典文学を読むようになる。子供は大人が思っている以上に、いわゆる難解な本でも読みこなす能力を持っているものである。

息子の読書力が高まったことと、何ごとも試さずにはいられない性質をよく知っていたナンシーは、家庭でできる科学実験を記した『自然・実験哲学概論』という一冊の本を買い与えた。これが、エジソンの才能に火をつけたといっていい。

その本には挿絵入りで、数多くの実験の方法が詳しく書かれていた。ナンシーは、野菜の貯蔵場所である地下室を実験室として使うことを許可し、エジソンは、本にあるすべての実験を自分で試したという。後に、生涯に千を超える特許を取得した才能は、こうして培われた。