そこで今度は、父は息子を牧師にするためにケンブリッジ大学の神学部で学ばせることにした。けれども、ダーウィンは牧師になるつもりもなかった。大学でとくに親しくしていたのは植物学や動物学の教授であり、彼がもっとも熱中し、楽しみにしていたのは、何とカブトムシの収集だった。前述の自伝にこう記している。

「ある日、古い樹皮をひき裂いてみると、2匹のめずらしいカブトムシが見つかったので、1匹ずつ両手につかんだ。ところがさらに3番目の新しい種類のものが見つかった。これをつかまえないのは残念でたまらないので、私は右手につかんでいた1匹を口のなかにほうりこんだ。なんと、それはものすごく辛い液体を出し、私の舌を焼かんばかりであった。私はやむなくそのカブトムシを口から吐き出したが、それは逃げ、そしてまた、3番目のやつも逃げてしまった」

幼いころのコレクターそのままである。彼は、みずからを「大きくなりすぎた子供」と言っているが十分にうなずける。しかし、それがのちにビーグル号の一員となり、世界一周におもむいたときに生きた。そこで彼が見せたのは、生来の収集癖によって培われた冷静な観察眼と分析力だった。例えば、ガラパゴス島に上陸した際、くちばしの大きさや形が違う同種の鳥が13種類もいることに気づく。その理由をダーウィンは、自然環境への適応の結果だと仮定し、生物の進化を理論化していくわけだ。

トーマス・エジソン(amanaimages=写真) 
「なぜ?」の疑問を実験して検証。

次は、「天才とは99%の努力と1%の霊感である」の言葉で知られるアメリカのトーマス・エジソン(1847~1931)。

「今日の私があるのは母のおかげです。母はとても誠実で、私を信頼してくれていましたから、私はこの人のために生きようと思いました。この人だけはがっかりさせるわけにはいかないと思ったのです」(ニール・ボールドウィン『エジソン』椿正晴訳)

これこそ、子供が親にささげることのできる、もっともすばらしい言葉ではないだろうか。のちに発明王と呼ばれるエジソンの少年時代は、たいへん好奇心が強く、普通に考えるとばかげたこととしか思えないような質問を連発して大人を困らせる厄介な子供だった。父親はうんざりしていたが、母親のナンシーはどんな質問にも誠実に答えた。