確実に帰宅するにはタクシーを使うしかない。だが、外を見るとすでに激しい渋滞が始まっていた。車が使えないとなれば、あとは自分の足だけが頼りになる。会社から自宅まではおよそ35キロ。その距離を歩き通すことができるのか?

幹線道路は人と車であふれた。路線バス乗り場には長い列が。(AP/AFLO=写真)

幹線道路は人と車であふれた。路線バス乗り場には長い列が。(AP/AFLO=写真)

腹の底から「なに、大丈夫だ」という声が聞こえてきた。「高校の『歩く会』に比べたら半分の距離だ」。

石井さんの母校は茨城県立水戸第一高校。「歩く会」とは、一昼夜をかけて生徒全員が70キロを歩き通す名物行事だ。

「35キロといってもふつうの人はすぐにイメージできないと思いますが、僕らは違う。途中で休憩をとりながら歩けば5~6時間で着ける。最初は、そのくらいに見積もっていました」

ただし、石井さんは高校生ではなく48歳。履いているのはスニーカーではなく革靴だ。さすがにそのままでは見積もり通りの行程となるかは微妙である。

熟考するうち、今度は阪神大震災の経験を思い出していた。「自転車だ!」。

16年前――。震災から2、3日後に石井さんは被害の大きかった神戸市東灘区の取引先へ生活物資を届けにいったことがある。大阪港から建設会社の作業船に同乗させてもらい神戸へ上陸。あらかじめ積み込んでおいた自転車に水や食料などをくくりつけ、残りをリュックに詰め込んで、瓦礫の間を縫って東の被災地へ向けてペダルを漕いだ。

「車はムリでも、自転車や原付なら被災後の道もなんとか通れたということを覚えていました」と石井さんは振り返る。

あくまでも作戦の基本は「35キロを歩き通す」。しかし「できれば自転車を入手し、速さと確実さを担保したい」。この二段構えで行こうと決めたのである。

では、自転車をどこで手に入れるのか。石井さんは自転車売り場を持つ都心の量販店を次々に思い浮かべていった。そのうえで、自宅への通り道にあたる六本木のドン・キホーテへ向かったのだ。

この日、都内は停電もなく沿道の店の多くはふつうに営業していた。煌々と明かりを灯したドン・キホーテの前は買い物客でいっぱいだった。店内には客を入れずに、店員が注文を聞いてから商品を取りにいき店外の臨時レジで販売するという緊急対応をしていたのだ。

石井さんは自転車を求める人の列に並んだ。20時すぎの時点で10人以上。在庫がどれほどあるかは店外からは不明だが、店員は「ぎりぎりお売りできると思いますが、在庫が切れてしまったらごめんなさい」と説明してくれた。その声を聞いて、列に並ぶのをあきらめる人も少なくなかった。