よく働き、よく遊ぶ。為替相場に強い「詩人」
――日本政策投資銀行社長 橋本徹

日本政策投資銀行社長 
橋本徹 

1934年生まれ。57年東京大学法学部卒業後、富士銀行(現・みずほ銀行)に入行。86年取締役国際審査部長、87年常務、90年副頭取を経て91年頭取、96年会長に就任。2000年富士総合研究所理事長。03年ドイツ証券東京支店会長。11年より現職。

笠井さんは富士銀行の2年後輩です。名前を知ったのは彼が入行2年目のとき。創立80周年を記念した行内の詩のコンテストで1位になった。「おもしろいやつが入ってきた」と印象に残りました。

一緒に仕事をするようになったのは82年ごろ。私は国際企画部の副部長、笠井さんは国際為替資金課の課長で、為替市場の動向についてたびたび議論しました。

その後、私は84年にシカゴの金融会社に副社長として出向。シカゴ支店長だった笠井さんは、外国人だけの組織で悪戦苦闘する私に、「一杯飲みませんか」と声をかけてくれた。日本風の居酒屋に行くと、笠井さんは店の人に「おかえりなさい」と声をかけられていました。よく働き、よく遊ぶ。そして、「和食のほうが気が休まるだろう」という気遣いができる。2人で日本酒をよく飲みました。

92年、頭取だった私は、笠井さんに副頭取となってもらいました。為替市場に強いだけでなく、統率力があり、人望があったからです。ソフトバンクに転じると聞いたとき、「孫さんはすごい人に目を付けたな」と思いました。

最後に会ったのは去年5月。スプリント買収の件で、日本政策投資銀行に来られました。顔色がよくないので、「体調はどうか」と聞くと、「大丈夫です」という答えでした。しかし去年8月、仲間との夕食会について「欠席させてほしい」との連絡があった。それから急逝したと聞き、驚きました。

相場を読む感性は鋭いけれど、普段はその鋭さを発散しない。自分の能力を鼻にかけることがなく、いつも朗らかな人でした。