佐村河内氏の「物語」にみんなが乗っかった

この「期待」のメカニズムを最大限利用した人がいた。長年にわたってゴーストライターに曲を書かせていた佐村河内守氏。彼は全聾にもかかわらず素晴らしい作品を生み出すということで、メディアでも大々的にとりあげられていた。しかし「作曲家」でも「全聾」でもないということがわかり、世間の怒りを買った。本当に障害を偽装していたなら犯罪だが、彼は人々が期待している「障害を乗り越えて人々に感動を与える現代のベートーヴェン」という物語を忠実に提供したとも言える。取材していた人たちの中にも、おそらくことの真相に気が付いていた人もいただろう。しかし、視聴者の期待、上司の期待に応えようとしてそのまま突っ走ってしまった可能性もないだろうか。

佐村河内氏がまがい物とわかってからも、ドラマは続く。彼のゴーストライターだった新垣隆氏が記者会見をすることになった日、外にコーヒー買いに行ったら、若い女性が昼間生放送される会見を「絶対みなきゃ」と生き生きと話していたのが印象的だった。こんなふうに楽しみにして見てもらえる番組がいまいくつあるだろう。佐村河内氏が自作自演したドラマに幕を引いたこの会見さえもが物語の一部になっている。結局、人生はもっと刺激的でドラマチックであるはずだという期待を、他人の人生で味あわせてもらうことがエンターテインメントになっている。期待が勢いを持ってある方向を向いている最中に、事実を伝えてそれに水を差すような行為は、疎まれる。

ソチ五輪の報道を見ていても、そういう「ドラマ」の部分が前面に出ていて、勝つためにどういう戦略を立てたのか、その戦略は成功したのか、勝てなかった原因は何だったか、といった、競技自体を分析記事が少ない気がした。選手のこれまでの人生や人間性についてももちろんより深く知りたいという気持ちはあるが、五輪までくればどの選手も勝負にはこだわっていて、もっと結果自体、とくに敗因の分析というのはあっていいと思う。しかしそういう記事は「夢がない」「後ろ向き」と言われたりするからメディアも避けてしまうのだろう。結局メディアもビジネスだから、レベルは受け手の「期待」によって決まる。

為末 大(ためすえ・だい)
1978年広島県生まれ。2001年エドモントン世界選手権および2005年ヘルシンキ世界選手権において、男子400メートルハードルで銅メダルを勝ち取る。陸上トラック種目の世界大会で日本人として初のメダル獲得者。シドニー、アテネ、北京と3度のオリンピックに出場。男子400メートルハードルの日本記録保持者(2013年5月現在)。2003年、大阪ガスを退社し、プロに転向。2012年、日本陸上競技選手権大会を最後に25年間の現役生活から引退。現在は、一般社団法人アスリート・ソサエティ(2010年設立)、為末大学(2012年開講)などを通じ、スポーツと社会、教育に関する活動を幅広く行っている。著書に『諦める力』、『走る哲学』、『決断という技術』などがある。NHKの2014年ソチパラリンピック放送(http://www.nhk.or.jp/heart-net/special/sochi/index.html)では、ナビゲーターを務める。
為末大学:http://tamesue.jp/ツイッター:https://twitter.com/daijapan
(撮影=大杉和広)
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