オリンピック選考で北朝鮮は「東京」に1票

私の歴史を振り返ると、行動を起こした直後はものすごく批判を浴びる。でも結果として形になっていく。

私自身ブラジル移民で、力道山にスカウトされて日本に帰ってきたときから、ひどいことを言われ続けてきました。プロレスそのものだって、ずっと蔑視され、差別を受けてきた歴史があるのです。だから「てめえら、今に見ていろよ」みたいな、いつも燃えるものが私の心にあって、それは生涯変えようがないのかなと思う。

――猪木議員が、北朝鮮問題にここまで肩入れするのは、師匠の力道山が在日朝鮮人であったことと関係するのですか。

【猪木】89年に国会議員になり、その後、北朝鮮を訪問しようとした。北朝鮮サイドに何の立場で訪朝するかを問われたので「力道山の弟子として」と答えた。

――当時は、国会議員であり、プロレスラーであったにもかかわらず……。
2013年11月の訪朝時に開設したスポーツ平和交流協会平壌代理事務所。(アントニオ猪木事務所=写真提供)

【猪木】ええ、そうです。力道山の付き人をしていたころ、プロレス興行のため新潟の旅館に泊まったことがあり、その際、力道山が試合のない日にいなくなったことがあったんです。あの人はゴルフが好きだったから、ゴルフにでも行ったのかなと思っていたのです。あとになって『力道山物語』という、まだ本になる前の原稿を読んだのです。そこには、そのとき北朝鮮から万景峰号で娘さんが来ていて会いにいったと書いてあった。

力道山が在日であることの詳細を知ったのは、89年にスポーツ平和党の党首として政治家になったときでした。
「あ、力道山という人は北朝鮮出身だったのだ」と。付き人時代は、力道山が在日だったことをまったく知らなかった。

日本が朝鮮半島を統治していた当時、相撲の番付には力道山が「朝鮮出身」と書いてあり、アメリカに行ったあとに朝鮮人であることを隠すようになったようです。