出張で1週間ほど欧州を訪れた。カバンに入っていたのは宿題であった本書ではなく、ヒトラーとワーグナー家の濃密な関係を掘り起こした大著だった。戦後60年を超してなお、第二次大戦に関する本が、新たに発見された詳細な資料をもとに、次々と公刊されている。

「民主党が政権をとって、どんなビジョンが公表され、何が変わるのか。その質問がいちばん困りますね」

出張先で会った、ロンドンやフランクフルトの友人は、苦笑いする。日本に居て、毎日、新聞を見ている私だって、そんな質問には答えられない。思い浮かぶのは膨大な公的債務が増す一方で、ひたすら「ばら撒き」による選挙対策くらい。官僚から政治主導へというスローガンにしても、変えることによってどんな経済政策や財政再建のビジョンを打ち出すのか、不明だ。

昭和21年生まれの私は、進駐軍に囲まれた横浜で育ったこともあり、占領下の記憶がいまだに鮮明である。戦後の廃墟から奇跡的な経済成長を実現する過程で成長し、社会人となった私の「昭和」は、「所得倍増政策」という言葉に括られるような気もする。言い換えれば、ひたすら「日々の暮らし向き」に関心を寄せるということである。

60年も生きてきて、ひとつの戦いもなく、ひとりの兵士も死ななかった国に生きてこられたことに感謝するほかないが、世界の国々から見れば、実に不可思議ともいえる憲法第九条によるガードの下、「平和」な人生をすごしてきたわけである。

その基本政策となったのは、所謂、吉田ドクトリンである。本質は、ダワー氏が要約しているように、「軍事力を片方に、経済をもう片方とするアメリカの翼の下に身を寄せ――民主主義でも、外交でも、再軍備でも、もちろん世界的な指導性でも政治家らしい指導力でもなく――ひたすら経済成長に専念するという狭義」であった。

敗戦国である日本の脆弱さに対する認識と経済への傾倒が、日本の経済体制を見事につくりあげたことは間違いないが、「国家目標と国際イメージ」という途方もない代償を払って成しとげられたことも間違いない。

朝鮮戦争による特需を「天佑」とした日本は、冷戦という状況の下、一方で、アジアにおけるパックスアメリカーナの「要塞日本」という役割を負う。沖縄のあり方もそのときに、決まっていたのである。

平成になって22年余、普天間基地の問題で迷走が続き、これだけ豊かになった国で、なお「ばら撒き」で、世論をつかもうとする現在の状況を見るにつけ、「昭和」の複雑な歴史を丁寧に読み解く大切さを改めて感じざるをえない。占領期の日本を描いた『敗北を抱きしめて』でピュリツァー賞を獲得したダワー氏が、戦後の日米関係を様々な角度から描いた11編の論考をまとめた本書を、日本の現状を考えるためにも、ぜひ読んでほしい。