一方、江戸時代中期に尾張藩主だった徳川宗春は民の心を読み、景気対策に力を入れた。宗春は江戸で吉宗が勤倹節約の「享保の改革」を推進している最中に「ゆきすぎた倹約はかえって庶民を苦しめる。人々の欲望を開放し、発散するために消費購買力を高めなければ経済は活性化しない」と考えて、地元名古屋に芝居小屋や遊郭を置いた。宗春の取り組みは現名古屋経済の礎になっているという説もある。

宗春は政府がどんどん富を放出し、人工的なインフレを起こして物価を上げ、景気を盛り上げるべきだと、ケインズの経済学理論にも通じる説を実践した。しかし宗春の政策はよい部分もあった半面、増税を行わなかったため、藩政府の財源の確保で行き詰まってしまった。

再建の基本は一時的な雇用の確保や金のばら撒きではなく、手持ちの資源の再活用や異能の開発以外にはないのである。これらを実践するためには、まず経営者やリーダーの意識改革をしなければならない。意識改革の方法としては、織田信長、豊臣秀吉、徳川家康という三人三様の手法がこれまで紹介されてきた。

信長は室町時代までの旧社会の破壊者であり、新価値社会を生み出した。土地至上主義をやめて衣食住の中に文化という付加価値を加え、民の欲望を開放しながら消費能力を高めて、安土文化を花開かせた。これは「人間にとって何が大事か」という価値観の大転換だった。土地以上に精神や文化を重視し、制度の壁や心の壁を壊していった。

信長が破壊型(壊す)で、秀吉がそれを引き継ぐ建設型(つくる)だとすると家康は長期維持管理型(守る)だった。

3人のリーダーの手法が異なっているので、このうちのひとつの手法を真似る経営者が多かったのだが、現代の経営者はひとつの手法だけではもはや通用しなくなった。現在では、再建を妨げるものを壊し、新しいパワーを生むような部門を創設し、古いものでもよいものは残して選別し、維持管理していくという、3つの型を同時進行していく能力が求められている。

これを実践した人物のひとりが、明治から昭和初期にかけて活躍した政治家、高橋是清である。是清は嘉永7(1854)年に生まれ、生後数日で里子に出され、その後寺に小姓としてあずけられた。14歳のときアメリカに渡って肉体労働に従事した経験もある「無学歴、ノンキャリア」だった。だが、功績が認められて日銀総裁にまで上り詰め、のちには蔵相や首相を務め、「窮地に強い男」と呼ばれた。