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2013年12月28日(土)

菊池武夫「デザインよりも伝えたいこと」御年74歳にしてこの情熱か。TAKEO KIKUCHIの現場にカムバックした菊池武夫氏。挑戦する生き方に終わりはない。

PRESIDENT Style
取材・文/デュウ 撮影/山下亮一
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僕たちの世代に残された使命がある

1970年、31歳にしてBIGIを設立。その後、MEN’S BIGIではパリに進出しコレクションを発表。84年には自身の「TAKEO KIKUCHI」ブランドを立ち上げ、DCブランドブームの中心的存在となる。2005年には自らのディレクションによる「40ct & 525」を始動。同年クールビズ推進協議会共同代表も務め、「COOL BIZ collection 2006」のデザインを手掛ける──。

日本にファッションカルチャーを根付かせたパイオニアであり、この40年にわたってファッションシーンを牽引してきた第一人者、それが菊池武夫氏だ。2003年を境にTAKEO KIKUCHIから離れ、ファッション業界の第一線から退いたかに見えたが、2012年5月にブランドに復帰。なぜいま復帰を果たしたのか、そしてなにをやろうとしているのか。菊池氏本人へのインタビューからは、氏の生き様が垣間見える。

──編集部(以下省略) 9年ぶりにTAKEO KIKUCHIに復帰されました。復帰までの経緯は?
TAKEO KIKUCHI、クリエイティブディレクターの菊池武夫氏。1939年東京都千代田区生まれ。文化学院美術科、原のぶ子アカデミーで学んだ後、注文服制作やパリでの海外生活を経て、70年にBIGIを立ち上げる。75年MEN’S BIGIを設立。78年にパリに法人を立ち上げ、現地でコレクションを発表。84年ワールドに移籍、「TAKEO KIKUCHI」を発表。96年、浅野忠信主演の短編映画をプロデュース。2002年、6年ぶりに東京コレクションに参加するも、翌年TAKEO KIKUCHIのクリエイティブディレクターを退く。05年、40ct & 525を立ち上げる。12年、9年ぶりに現職に復帰を果たした。

菊池氏(以下省略) 2003年にTAKEO KIKUCHIのクリエイティブディレクターを後任に引き継ぎました。なにか問題があったわけではないのですが、同世代のデザイナーがつくったもののほうが消費者の共感を得られると思い、若手のデザイナーを起用することにしたのです。その後、私は1年ほど休養を取ってから、40代以降の洋服に対して真剣に向き合うことにしました。ブランドを立ち上げる構想を1年かけて練り、2005年に40ct & 525というブランドを立ち上げました。TAKEO KIKUCHIは私が辞めた後も順調だったのですが、ブランドを長く続けていると壁にぶつかることがあります。その壁を乗り越えるために、あとは社会情勢などいろいろと考慮した結果、復帰することに決めたのです。

──復帰された一番の理由は何でしょう?

僕らが若かったころはみんな情熱がありました。ものづくりにも生き方にも情熱があって、それが力になって前に進んでいた。人がやっていないことで、なおかつこれからの時代に受けそうなことをいつも探し求めながら、ファッションだけじゃなくて社会全体を改革したいというような気持ちがありました。そういう世代の人間からすると、いまの若い人は優等生すぎる。情熱があまり感じられないし、夢も持たない人が多い。だから自分から外に対してエネルギーを発することがないのだと思う。僕が若いころは、外に対してエネルギーを発して、自分がどういうことを考えていてなにをしたいかということを明確にしたい気持ちがあった。そういう仕事の仕方をいまの時代に残したいという思いがありました。

──若い人に向けて発信したいことがあったと。

いまはテクノロジーばかりが優先して、人間らしさ、人間くささをあまり感じなくなっている気がします。知識はあるんだけど、実体験が伴っていない。バーチャルな世界で終わってしまう。そうではなくて、五感を使って体感することや、人と人が本気でぶつかり合うことが必要なのではないかと思うのです。そういう経験を積んできた世代、テクノロジーが発達していなかった時代を生きてきた僕たちの世代が伝えるべきことは、まだかなり多くあると思うのですよ。

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