僕も病院でがんの末期患者さんたちを回診するときは、患者さんに1回は笑顔を出してもらえるよう心がけています。

「悲観主義は気分によるものであり、楽観主義は意志によるものである」――日常的な言葉が多いアランの文章のなかで、この言葉はやや哲学的な匂いがします。

この言葉に続いて、アランは次のように記しています。

「気分にまかせて生きている人はみんな、悲しみにとらわれる。否、それだけではすまない。やがていらだち、怒り出す」「ほんとうを言えば、上機嫌など存在しないのだ。気分というのは、正確に言えば、いつも悪いものなのだ。だから、幸福とはすべて、意志と自己克服とによるものである」

感情や気分だけで生きていると、悲しみや嫌なことに遭遇したとき、不幸だという思いや怒りの感情に溺れてしまう。だから、感情に流されず、「いまは辛いけど明日は明るくなる」と、意志の力で楽観主義に立つ。幸福を得るには、それが大事だというのです。

これはアランの『幸福論』の重要なポイントです。

日本はいまとても厳しい状況にあります。経済が長期的に鬱々たる状態だったところに東日本大震災が起きました。

しかし、こんなときこそ、「いまは大変だが必ず良くなる」と意志の力で考えることが必要だと『幸福論』は教えてくれています。

「期待を抱くこと、それはつまり幸福であるということなのだ」という言葉も噛みしめたいものです。幸福とは何か。どうすれば手に入るのか。アランは次のように説明しているからです。

「幸福はあのショー・ウィンドーに飾られている品物のように、人がそれを選んで、お金を払って、持ち帰ることのできるようなものではない」と、アランは強調します。

赤い商品は店頭にあってもあなたの家にあっても「同じように赤いものである」のとは異なり、「幸福は、人がそれを自分の手の中に入れなければ幸福ではない」のであって、「自分の外に求めるかぎり、何ひとつ(最初から)幸福の姿をとっているものはない」というのです。

「君はすでに幸福(の種子)を持っている」のであって、期待つまり希望を抱いて進んでいくことが幸福(の開花)に繋がるのだと『幸福論』は教えてくれています。