今日立てたプランの一部は明日になると破綻する

――[1]でお話に出た堀江貴文さんの『ゼロ』のなかにこんな文章があるんです。「僕は過去の著書の中で、『努力』という言葉はほとんど使っていない。成功に向かって全力疾走することを『努力』と呼ぶのなら、努力なんて当たり前のことだ。わざわざ『みんな努力しようよ』なんて野暮ったいことを訴える必要もなく、ただ『成果を出そう』と呼びかければいい」。

【為末】堀江さんの感覚だと、たぶん成果を出せという圧力をかけさえすれば、人は努力して合理的な手段を選ばざるを得なくなる、ということなんだと思います。

――「どういうふうに努力するか」ですね。その前に為末さんが『諦める力』でも書いておられるように、「勝ちやすいとろをみきわめる」のも大事ですね。

【為末】本にも書きましたが、僕は、100mという競技を悩み抜いた末にやめるとき、自分の中の価値観をずらしました。これからは勝つことをやろうと。100mは「好きなこと」だった。でもそれをやっていても勝てそうにないと悟ったとき、割り切って「勝つこと」を選んだ。自分の頭の中で初めて戦略的に何かを選んだ経験でした。そうやって、1度やってみて成果が出ると、好きなことか、勝てることかというこだわりも減ってくる気はするんですよね。

――そうですね。勝てることが好きなことになっていくこともあります。それで思い出したのですが、いま、就活の先に配活、というのがあるそうなんです。入社して希望する部署に配属されるための活動。どこまでも「好き」を重視する発想ですよね。

【為末】配属活動(笑)。

――たくさん部署のある大企業に限られると思いますが。配活した結果、希望の部署に配属されなかったら、なにか自己否定されたような気になるんでしょうか。

【為末】こんなに頑張ったのにどうして、ということですね。準備すればすべての情報は手に入ると思うのには無理がありますよね。会社に入って仕事をしてみるまでは自分がどんな仕事が向いていて、会社にどんな仕事があるのかもわかっていないわけで、その状態で用意していたプランというのは、一歩進むとかなりの部分が破綻します。なにごとも今日のプランは明日になるとさらに状況が変わって破綻するっていうことの繰り返しなんですが。

――プランBがないんですね。だからなにがあってもプランAで突き進む。

【為末】僕の知り合いが面白いことを言っていました。ある宅地開発をスタートさせたら、どうも難しいということがわかった。それでそもそもの前提が間違っていたようだから、1度白紙に戻して考えようといったときに、そのプランを提案したのがすごく有力な上司だったので「いまこれを変えるとあの人の計画が間違えっていたということを意味してしまう」という理由から、「難しい立地だけどこれをいかに成功させるかを考えよう」ということになったらしいです。