辞令撤回を求めた「2度目の京都」

野村ホールディングス
代表取締役・グループCEO
永井浩二
(ながい・こうじ)
1959年、東京都生まれ。81年中央大学法学部卒業、野村証券入社。95年豊橋支店長、97年岡山支店長、2000年事業法人一部長、01年京都支店長、03年取締役、07年常務執行役、09年代表執行役兼専務、11年代表執行役副社長兼Co-COO。12年より野村ホールディングス代表執行役・グループCEO。

2001年6月、京都支店長になった。42歳。情報通信やバイオテクノロジーなど、最先端分野の企業の新規上場が、世紀をまたいで、続いていた。京都は、そんな最先端技術を擁する新興企業が、次々に誕生してきた地だ。

上場は、株式を売り出すことで企業に巨額の資金が入り、会社の将来に期待をかけてくれる株主を増やす機会ともなる。それを手伝う証券会社にも、各種の手数料が入るだけではない。株式の売り出しを担うことで、成長が期待できる企業を求める投資家に応え、顧客の定着や開拓の好機となる。

でも、そんな自社の利益を優先し、企業に早期上場を促すだけでは、おかしい。お客である企業の成長戦略に合わせ、いつ、どれほどの資金が必要になるのか。新しく株主になってくれた投資家が、株式を持ち続けてくれる条件は何か。自分たちも考え、上場への段階を踏んでいくべきだろう。

そんな思いを抱き、古都の地に立つ。赴任する前の2年間、本社で企業の重要な戦略に寄り添う仕事を重ね、自然体で仕事をしてきたなかで、得た答えだった。

当時、株式や投信など、京都支店のお客からの預かり資産は約2兆円。業界首位の野村証券のなかでも最大級の店だが、企業向け営業や上場など企業金融の分野は、やや劣勢にあった。総勢は約250人。その大半を投入する個人客向け営業は、序列3位の営業次席に任せ、20人足らずの部隊を率いて企業巡りを続ける。

いま、社長になって掲げる「全てはお客様の為に」の発想。それを確信させてくれた1つが、京都に本社を構える宝ホールディングスとの仕事だ。同社は、本業の酒類事業を土台にバイオ事業へ進出し、遺伝子工学研究向けの試薬などで、存在感を高めていた。バイオ事業は成長性やリスクが本業とは異なるため、2002年に分社化してタカラバイオを設立、持ち株会社の下に宝酒造とともに並ぶ形にすることになり、証券業界は「次は、上場か」と色めき立つ。