業績評価の季節を憂鬱に感じているのは、評価する立場のマネジャーたちも同様だ。必要以上に厳しい評価も、ぬるま湯的に甘い評価も禁物である。業績評価を上司と部下双方に前向きなプロセスに変えるための秘訣とは。

オリンピックのフィギュアスケートの選手やアカデミー賞にノミネートされた俳優なら話は別だが、職場での働きぶりに人の目が集まることや、他人に査定されることをうれしいと感じる者は少ない。一方、業績を評価される側だけでなく、管理職の多くがこの評価プロセスを、意思伝達の行き違いや、解釈違いが発生するおそれのある、気の重い仕事だと感じている。

「評価のしかたが悪いと、社員の恨みを買うだけで、評価を行った管理職の側にはフラストレーションが残るだけだ」と述べているのは、ニューヨーク市に本拠を置き、店頭商品ディスプレーのデザインと制作を手がけているアート・マーチャンダイジング社の営業部門副社長ケリー・ロバートソンである。評価プロセスの両者の側で豊富な経験を持つロバートソンは、評価をする者は、社員のピリピリした反感を回避したいという気持ちから、逆に自らをトラブルに巻き込んでしまうことも少なくないという。

「大半の人が査定の対象となるのは心地よいことではないと感じている。そこで、同僚に関する個人的評価を記録しなければならない場合は、慎重になりすぎるきらいがある」とロバートソンは言う。「しかし、駆け引きがすぎると、実際には不当に厳しい姿勢による評価と同じダメージを生む結果を招くということに、彼らは気づいていない。伝える意義のある批評を伝える機会を逸してしまうと、評価する側もされる側も、その評価によって得られるべき便益を失うことになる。結果として、時間は費やしたが実りはなかったということになってしまう」。

評価によって現実的な変化をもたらす効果のある適切な表現を使い、有意義な査定を行うには、きめ細かなバランスを保った方法に熟練することが重要なのは当然であるが、ここは注意を要する部分でもある。相手が受け流してしまうようでは、批評の言葉も行き所を失って、無意味なものとなる。メッセージが、穏やかに、かつ明確に伝わるようにするためには、断固としていながら柔軟性を失わず、批判しながらも励まし、率直であると同時に礼儀をわきまえ、個人的でありながらプロフェッショナル、といったバランスのとれた目を養う必要がある。これは、達成不可能に近い使命とも思えるかもしれないが、実際には思ったほど克服しがたいことではない。

喜劇やオペラ、野球の試合などは、その「伝え方」によって人気が左右されるように、人事評価もつまりは「伝え方」なのだ。何を書くかという内容的なことだけではなく、いかに書くかという過程が、モチベーションにつながる生産的な評価になるか、不満をくすぶらせるもとになるかの重要な分かれ目になりうる。