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「冨士講」式登山ガイド

次は博物館にほど近い「扶桑教元祠(もとほこら)」です。ここにある「仙水の御手洗(みたらし)池」で手を洗い、心身を清めます。高尾山での滝行を経て、ここでさらに禊(みそぎ)をするわけです。

そして北口本宮冨士浅間神社にお参りして、いよいよ登山となります。浅間神社の参道は、そのまま富士山吉田口登山道の入り口です。ここまでで疲れてしまった場合や、朝から富士登山に臨もうという人は、「御師(おし)」に宿泊します。御師とは、神職のことであり、冨士講登拝者のための宿泊所のことを指します。もう数えるほどしか御師の宿は残っていませんから、ぜひ機会をつくって宿泊してください。

あとはひたすら登るのみ。「六根清浄、お山は晴天」と唱えながら、一歩一歩、足に力を込めて登っていきます。富士山にはいくつか登り口がありますが、必ず登ったところに下るのが仕来りです。富士山を跨ぐように別の場所に下りるのは、「山を割る」ということで忌み嫌われました。

江戸からの冨士講が下山すると、中には大山や平塚、江の島で思う存分に羽を伸ばす人もいたようです。

最後になりますが、富士山を開祖した角行の歌をご紹介します。

冨士の山、登りてみれば何も無し
善しも悪しきも我が心なり

日本人は富士山そのものを神として崇めてきました。すなわち富士山に登ることは神様の懐に我が身を委ねることであり、大自然の中で生かされている我が身を感得することなのです。