ところがいまは、それが変わってきているように思います。

ソフトバンクの孫正義さんや元ライブドアのホリエモン(堀江貴文さん)のように、階級の壁を突破してやろうという人物が、ごくわずかながら出てきたことは事実です。しかし、知らないうちにその階級の壁は非常に厚くなり、もはや「格差」という言葉では言い表せないレベルにまで達し、普通の人は諦めの気分が強くなっているような気がします。

そして、一般の生活者の中でも同じような現象が起きている。ミシュランの3つ星に何としてでも行ってやろうと背伸びすることなく、「B級グルメ」の中で最高の店に行列して、それをエンジョイしている。「3つ星のレストランなんて、食べたい人が行けばいい。高級ワインでも何でも飲めばいいんだ。俺たちは、街の定食屋でも美味しい料理を提供している店を探すんだ」と思っている。

気になるのは、そういうレベルで自足しているところなんです。B級の立場であることから離れようとせず、その枠の中でエンジョイしようとしている。そういう生活を送っていると、ヨーロッパの階級のようにいつの間にか、目に見えない大きな壁が立ちはだかってくるのだと思います。だから革命を起こしたり、反抗したりといった気持ちはないし、戦後すぐの堤さんや五島さんのように、「突破する」という野望も抱かない。

では、そこそこエンジョイしていれば、不安がないかといったら、そうではなさそうです。「漠たる不安」は抱いている。自ら命を絶った芥川龍之介は遺書の中で、「ぼんやりとした不安」という言葉を残していますが、それと似ているのかもしれません。そうした不安に対して、安保闘争のときに、国会をデモ隊が取り囲んだような態度を、いまの人たちはとろうとはしない。「まあいいじゃないか」と。だから漠然とした不安がくすぶり続けるのでしょう。

その一方で、変転していく世界の中で「変わらぬものって何か」といったことは考えている。たとえばお金はハイパーインフレでも起きたら紙屑同然になる。考えていくと、変わらぬものは「健康」だということになるんじゃないか。実際に健康関係の本がたくさん売れていたり、健康的な食べ物に対する関心も高い。こうしたフィジカルなものに関心が向かっている気がします。