――電力供給事業では、自身、神戸製鉄所での火力発電所建設に現場責任者として陣頭指揮した。

【川崎】1997年から5年半、社運をかけた事業で、製鉄所の設備屋の私に白羽の矢が立った。完成図はあっても建設の計画書などなく、何をどう進めるか3カ月間悩んだ。資材を運ぶ岸壁は震災でひび割れ。既存の施設の解体も、高さ100メートルの煙突の解体片が横の高速道路を走る車にあたったら工事は止まる。廃炉となっていた高炉の解体には爆破が必要で、車のドライバーが音に驚いて事故を起こさないよう、無線で警察と連絡をとりつつ速度規制してもらったときは胃が痛んだ。

試運転開始後は想定外のトラブルの連続。不安から弱音を吐く技術者たちを「大丈夫だ」「必ず一歩一歩進んでいる」と現場で支えるのが私の役割だった。そのため、部下以上に専門書を読み、必死に考えた。入社以来、1番大変な仕事だったが、失敗の許されない重圧と闘い、完成させてくれた部下には感謝している。

――困難な仕事をやりとげた川崎流のマネジメントとは。

【川崎】「行動」。行と動に尽きる。問題が起きたら、「行って動かせ、行けば動く」。わからなければ、行って聞け、聞けば必ず教えてくれる。そう唱え続けた。リーダーとしては「泰然自若」であるべきと自らを戒めた。みんなが焦っても、上司まで焦るとミスリードしてしまう。緊急時ほどゆとりを持つよう心がけた。

神戸製鋼は事業ごとに他社と提携は行っても、経営はスタンドアローン(独立独歩)でいく。困難も予想される。ただ、複合経営の強みで専門家が幅広くいる。行って聞けば必ず教えてくれる。それが総合力の強みだ。トップは泰然自若としてぶれず、社員たちは「行」と「動」に徹し、厳しい競争を勝ち抜いていく。

神戸製鋼所社長 川崎博也
1954年、和歌山県生まれ。80年京都大学大学院工学研究科修了、同年神戸製鋼所入社。2001年IPP本部建設部長、02年加古川製鉄所設備部長、07年執行役員、10年常務執行役員、12年専務執行役員を経て、13年代表取締役社長。
[出身高校]和歌山県立笠田高校[長く在籍した部門]製鉄所の設備部門
[趣味]木村秋則『リンゴが教えてくれたこと』
[座右の書]
「行動」「泰然自若」[座右の銘]バラの栽培
(勝見 明=構成 宇佐美雅浩=撮影)
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