日米貿易不均衡がピークの80年代、クライスラー再生の立役者といわれた会長のアイアコッカは「イエローペリル(黄禍)」と呼んで日本製品を大バッシングした。しかしクライスラー復活のカギになったのは三菱自動車のOEM(相手先ブランドによる受託生産)供給がうまくいったためで、当時のクライスラーは、日本車の最大の輸入業者だった(アメリカでの自社生産も実は国境の向こうのカナダであった)。