こだわる男たちの元祖軍隊食

カレー、つまり「カレーライス」は、日本全国どこでも食べられる定番の料理です。もともとインドから英国にカレーが伝わり、小麦粉でとろみをつけた欧風カレーとなって、明治の文明開化と同時に日本に伝わりました。日本人にとってカレーは、当初はあこがれの西洋料理でしたが、1900年前後には一気に日本全国に普及します。これはカレーが軍隊食として採用されていたため、日清戦争や日露戦争で入隊していた兵士たちが地元に戻った際、懐かしのカレーを再現しようとしたからです。カレーはまさに「男の料理」だったのです。

さらに、味にうるさい男たちは、日本人の好みに合う味のカレーを探求し、さまざまな個性派オリジナルカレーが誕生します。「カレーライス」だけにとどまらず、カレーうどん、カレー南蛮(カレーそば)、カレーパンなど日本独自の食べ物を生み出していきます。ちなみに、秋葉原には「カリーどら焼き」まであります。1920年頃には、カレーは定番の家庭料理として定着していました。1923年の関東大震災の際は、多くの人が家財道具を失い、外食の需要が一気に増えたため、東京では蕎麦屋でも「カレー丼」と称して、独自のカレーを提供するようになりました。

秋葉原といえば、「男たちの街」です。若い男性が大勢いる地域には「安い、早い、大盛り」の食べ物を提供する外食産業が発展しやすいのですが、秋葉原は特にその傾向が際立って目につきます。しかも、限られた時間内に目当ての商品を探して秋葉原を歩き回る「戦う男たち」には、一度作り置きすれば大人数でも手際よくさばける、手軽で腹持ちの良い「軍隊食」であったカレーはぴったりです。

秋葉原と神保町のカレーには共通点もあります。大手チェーン店のような出来合いものではなく、店内で調理したオリジナルカレーを提供するカレー専門店、あるいは、喫茶店や洋食屋でも名物のオリジナルカレーを提供する店舗が多いことです。神保町では47店舗、秋葉原では37店舗あり、それぞれ全体の57%と34%となりました。秋葉原は神保町には及びませんが、全体の3割が個性派オリジナルカレーの店舗というのは決して少なくありません。文系の古書街と理系の電気街という違いはあれども、神保町も秋葉原もこだわりを持つ「趣味人の街」ですから、個性派オリジナルカレーを提供する店舗が多いのではと思えます。神保町と秋葉原がカレー激戦区になった共通の理由。それは、共に「こだわる男たちの街」だからだといえるのではないでしょうか。

秋葉原や神保町に来られた際は、ぜひ地元の店舗を探して、個性派オリジナルカレーをご賞味いただきたい。また自分が住む地域にはどんなカレー店があるか散策してみると、その地域の新たな魅力を発見できるかもしれません。

さて、次回は引き続き「食」の話ですが、カレーには少し縁遠い「箸」の話をいたします。

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