いまや3人に1人ががんにかかる時代だ。いざ自分が、家族ががんになったら──。3組の夫婦から生きることの喜びを学ぶ。
「生きている人、みんなが自分の『いのちのクルマ』を運転しています。『先生、お任せします』といってしまうと、ハンドルから手を離したのと同じです」と語る樋口強さん。
「生きている人、みんなが自分の『いのちのクルマ』を運転しています。『先生、お任せします』といってしまうと、ハンドルから手を離したのと同じです」と語る樋口強さん。

走れ、走れ、いのちのクルマ――。

1996年5月、東京都内の総合病院で9時間以上におよぶ右肺上葉の小細胞がんの手術を終えた樋口強さんは、大きな人生の岐路に立っていた。

「がん細胞が血液のなかを泳いでいるであろういまならば、抗がん剤治療で治癒の道を探れるでしょう」

「免疫力が弱っている状態で抗がん剤を使うのはリスクが大きい。いったん退院し、家へ帰ったらどうでしょう」

樋口さんの右肺は3分の1が摘出されていた。しかし、リンパ節への転移が認められ、がん細胞が血液にのって流れている可能性が高いことがわかったのだ。当時、小細胞がんでの生存率は3年で5%といわれていた。

そのがん細胞がどこかの組織に生着して増殖を始めると、いくら有効な抗がん剤を使ってもゼロにはできない。だから、執刀した外科の担当医はすぐ抗がん剤治療することを勧めた。その一方で、内科の担当医は、抗がん剤治療による骨髄抑制の副作用で免疫力が低下し、生命の危険にさらされることを恐れたのだった。

樋口さんは生きることの意味を問い続けた。当時、樋口さんはまだ43歳。東レの電子情報機材事業企画管理室長を務め、1週間のうちに2回も米国へ出張したことが何度もあった。多忙な夫の健康を気遣う妻の加代子さんが常に寄り添っていた。そして行き着いたのが「いのちのクルマ」であった。