最高益更新、構造改革の真っただ中、イノベーションの途上……。それぞれの局面で求められているのはどのようなリーダーなのか。

1936年創業のリコーは3年後に80周年を控え、今年は構造改革仕上げの年。成長と体質改造の同時実現を近藤史朗前社長と二人三脚で進めてきた三浦社長は「効率化を文化にまで定着させたい」という。8月には非効率的になりがちな本社機能をスリム化した。財務出身だが、フランスや米国など海外経験が長く、営業や企業買収などにも携わってきた。空手は黒帯、いまも帰宅後の日課は筋力トレーニングだ。酒はあまり飲まず、健康管理に気をつけるストイックさを持つ。

リコー社長 三浦善司氏
――これまでどんな仕事を?

【三浦】父が技術屋だったから、自分も技術屋になりたかった。東京で育ち、大学は工学部。大学院で経済学を学んだが、実業を知らない人たちの世界と気づいて博士課程まで進むつもりにはなれなかった。

最初に配属されたのが経営管理本部計画部で、予算管理を担当。夜ひそかに経理学校に通って勉強した。2年後の79年、オランダに赴任したが、当時リコーは自社ブランドの営業をやっていなかった。売っていたのはオフセット印刷機とカメラのみだった。

84年に帰国し、為替担当になった。為替予約やオプションが世の中に広まっていない頃で、外資系銀行にいろいろと教わった。にわか専門家となって逆に税務署や旧興銀に教えたこともある。4年ほど財務の仕事をして、オランダ、フランス、イギリスを回った。