他人の出世や成功へのねたみ、そねみ。人間が比較をする存在である限り、そういう気持ちは避けられない。僕もそう。それを払拭しようとしてもできないのなら、むしろねたみ、そねみの気持ちを自分は持っていると認めたほうがいい。

「どのような仕事の工夫をしてきたのか」率直に聞いてみる<br><strong>東京大学大学院情報学環教授 姜尚中</strong>●1950年生まれ。著書の『悩む力』が幅広い年齢層からの反響を集め、65万部を超える大ベストセラーとなっている。
「どのような仕事の工夫をしてきたのか」率直に聞いてみる
東京大学大学院情報学環教授 姜尚中●1950年生まれ。著書の『悩む力』が幅広い年齢層からの反響を集め、65万部を超える大ベストセラーとなっている。

そこで、なぜそんな気持ちを持つのかを考えてみよう。会社において、定年までつつがなく、大過なく勤めあげようという人ほど、ねたみ、そねみの気持ちを持つことが少ないのではないか。逆に、やる気がある、上昇志向の人ほど、そういう気持ちを抱くのだと思う。だから、そんな気持ちを持っていると認めたうえで、自分にはまだやる気があるのだと、肯定的に考えたほうがいいと、僕は思う。

しかし、やる気の裏返しだとはわかっても、許せない気持ちが強いときはどうしたらいいのだろう。多くの場合、ねたみ、そねみの気持ちは「自分は会社に正当に評価されていない」という不満へ向かい始める。そして、会社の評価体系のあり方にいくつも疑問点が浮かんでくる。それならば、どんな基準で評価が行われているか、できる限りきちっとした情報を得るように努めたらどうか。そして、自分なりに何が悪かったかを考え直してみるのだ。

次は、ねたみ、そねみの対象が同期で、しかも仲が悪くなかったときである。それまで「おい、おまえ」のような比較的親しい関係でありながら、ねたみ、そねみの対象になるのは、アンビバレントであり辛いことだ。僕がその立場ならば、「会社において君はどういう仕事の工夫をして何を心がけているか」「どんなことを勉強しているか」と率直に聞いてみたい。自分の知らないところで実はこんな勉強をしていたのかということを知れば、自分を変えていくチャンスになろう。

もしも、出世した同期と仲が悪かった場合は、同期の第三者、つまり自分と相手の両方を知っている人に、その人なりの見方、考え方を率直に聞いてみるのがいいだろう。それでもなお我慢できないというなら、残された道は転職ということになるだろう。