パキスタンではリン酸などを多く含む都市下水を灌漑につかうと収量が多くなるため、下水で灌漑された農地の地価が高い。

じつは「乾燥した大陸」だったはずのオーストラリアの1人あたりの利用可能な水量はイギリスの3倍もある。いっぽう、1人あたりの水消費量がもっとも多い国はなんとトルクメニスタンとウズベキスタンである。

21世紀はじめの数年間、インダス川は海にそそぐ数百キロ手前で干上がった。2001年には米国のリオグランデ川も途中で干上がった。アラル海の湖岸は地図よりも数百キロ先まで干上がった。

インド西部とバングラデシュの数千万人が飲む地下水にはヒマラヤ山脈由来のヒ素が大量に含まれている。インド中部では同じく自然由来のフッ素中毒で数百万人も苦しんでいる。

これらは流行りのクイズ番組の問題ではない。本書が取りあつかう水に関する知識のごく一部なのだ。本書の原題は『When the Rivers Run Dry(川が干上がるとき)』である。ためしに各章の見出しを第1章からつなげてみよう。

川が干上がるとき、農業は死に、子孫たちの水が奪われ、湿地帯は滅び、洪水が人々を襲う。その裏ではダムが建造され、人々は水をめぐって争い、やがて文明は滅びることになりかねない。

しかし、新しい水源を探す努力は続けられ、雨を集めたりしながら、自然の流れを取り戻すことは可能なのだと本書は結章する。

著者はロンドン在住のジャーナリストである。日本によくいる危機感を煽るだけの経済評論家や欧米の感情的な環境原理主義者でもない。10年以上の年月をかけた広範な取材を通じて世界の水の現状を公正に報道しているのだ。

本書は昨今流行の水不足や仮想水などの問題だけでなく、河川の氾濫や生態系をも取り扱っているし、1967年の6日戦争は、ヨルダン川の管理権をめぐってイスラエルが仕掛けた現代の水戦争だという政治面にまで踏み込んでいる。

さらに、タリバンやサダム・フセイン、ソ連共産党、カダフィ大佐などの独裁者も登場し、いかに彼らが自国に損害を与えたかも伝えている。残念ながらわが隣国の首領さまは登場しない。ちなみに北朝鮮は旱魃と水害が毎年交互にやってくる稀有な国である。

東京大学で水文学を教えている沖大幹教授は、著者が世界の水問題解決へ向けて(1)節水農業(2)雨水利用(3)氾濫の許容という3つの方策を本書で提示していると解説しながら、この著者は温暖化に懸念を表明しつつも、水不足の原因を安易に温暖化に求めていないことを高く評価している。

この沖教授による解説は17もあるのだが、本書は最良の解説者を得て、日本の読者にとって価値を倍増させたといってもよいだろう。

幸いなことに、本書においてわが国の登場回数は1回しかない。過去に数多くのダムを造りながら、建設反対派にまわったビアード元米国開発局長官を紹介するくだりで、長良川河口堰問題をわずかに取り上げているだけだ。諫早湾干拓などについても著者の公平な目で取り上げてほしかった。今後、本書を読まずして水問題を語ることは無謀であろう。