企業の留保利益に対する課税を検討する、政治的な動きが表面化している。留保利益への課税は、日本企業の特徴的な経営に深刻な打撃を与える、と筆者は説く。

「留保利益」が必要な2つの理由

一部の国会議員の間で、企業の留保利益に税金をかけようとする動きが出ている。利益の留保にペナルティーを与えることによって従業員や株主への配分を増やさせることが第1の狙いだろう。もう1つは、税収の不足に対応するために税源の拡大を狙ったものであろう。これらの目的は理解できるが、手段は適切だろうか。留保利益への課税は、社会的に大きな不公正をもたらすだけでなく、企業経営に深刻な悪影響が及ぼされるのではないかと、私は心配している。その理由を理解してもらうために、日本企業はなぜ多くの留保利益を持とうとするのかを考えてみよう。このことは以前の時論で書いたこともある。留保利益の株主への分配を要求する株主が出てきた頃であったと記憶している。ずいぶん以前のことなので、もう1度きっちりと考え直す価値はあるだろう。

留保利益に関して考えなければならないことは2つある。1つは、日本企業における留保利益の独特の性質であり、もう1つは、日本企業の長期志向経営という経営の基本スタンスと留保利益のかかわりである。

見えざる出資
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見えざる出資

留保利益は、法的には株主のものである。ところが、日本企業の実態をよく見ると、留保利益は従業員のものだと考えるべき理由がある。日本の企業は長らくの間年功賃金制を取ってきた。年功賃金制度のもとでは、従業員は企業に目に見えない出資をしている。そのメカニズムを示したのが図である。

従業員が若いときには、その賃金はその貢献よりも小さい。しかし、一定の年齢を過ぎると、その賃金は、その貢献よりも大きくなる。若年期には支払い不足が起こっているが、高年期には過剰支払いが起こっている。年功賃金制度のもとでは、若年期の支払い不足が高年期に補填されるというメカニズムになっている。一種の年金制度あるいは出資制度と見なすことができる。若年期の従業員の数と高年期の従業員の数とがつりあっているときには、拠出と支払いとのバランスが取れている。しかし、企業の成長期には、年齢構成はピラミッド型となり、拠出をする若年従業員のほうが多い。その結果、拠出された資金はすべて支払いには使われず、企業に積み立てられていく。この積立金は、将来債務への引当金である。しかし、この引き当て分を収容する勘定科目はないから、それは留保利益として積み立てられることになる。これが従業員の見えざる出資分である。明確な勘定科目がなく、留保利益に含められているという意味では、目に見えないのである。その意味で見えざる出資なのである。かつてアクティビストとよばれる一部の株主はこの留保利益を株主に分配せよと主張したが、それは従業員の持ち分を奪ってしまうことになると、私は主張したことがある。アクティビストに代わって国がこのお金に狙いをつけているというべきか。国がこれに課税してしまうと、従業員持ち分が国に奪われてしまうことになり、株主に分配するのと同じような不公正が起こってしまう。この観点からすると、留保利益課税は深刻な不公正を生み出す可能性があることが理解されるだろう。労働側の国会議員がこのような税制に賛成するのはいただけない。