【玄侑】たぶん「自己実現」という言葉も同じ時期に使われ始めたような気がしますね。たとえば江戸時代なら百姓の子は百姓、武士の子は武士になるものと限定されていましたよね。悩まずに済んだ。ところが、いまは自己実現の自由がある。そのせいで私も「坊さんになってもいいけど、ならなくてもいいはずだ」と、子供の頃からすごく悩んだんです。でも、日本人の幸せっていうのは、限定されたことにどう「仕合わせ」ていくか。あるいは、もう決められていることをどう寿ことほぐかというところにあるんじゃないでしょうか。

さらに言うなら、西洋的な自己が持ち込まれたことが、自殺を増やすきっかけにもなったような気がするんです。「自己実現しなさい」と言われても、その自己が見えないと、ものすごい苦しみが生まれますから。

【山田】だからこそ僕は、人間の限界、哀しみ知ることが大事だと思います。

【玄侑】私はいま「母から子への手紙コンテスト」というものの審査員をやっているんですが、読んでいるとやっぱり津波被害に遭った人たちの手紙がかなり入っています。死んでしまった子供への手紙とか、生爪剥がして服もびしょ濡れで、2日間母親を待ち続けた1歳9カ月の子とようやく対面した話とか、それはもう凄まじいです。

【山田】PTSD、精神的な後遺症もあるでしょうね。

【玄侑】ええ、生き残った3歳くらいの子が、お兄ちゃんが死んでしまったのを見ても泣かなくて、以来ずっと泣いていないというんです。

【山田】少し次元が違うかもしれませんけど、昔は「苦労自慢」というのがありましたよね。「私はこんな苦労した」と話していると、必ず「私のほうが苦労した」という人が出てきて、苦労した人ほど偉い、みんなで敬意を表するという感覚があった。あれはとても質のいい価値観だったと思うんです。