高度成長期から現在まで、日本人の暮らしの物語を紡いできた脚本家が、いま、被災地の僧侶と語り合った言葉とは。11年10月下旬、福島第一原発から45キロの小さな町・三春へ。
脚本家・作家 
山田太一氏

【山田】昨日、石巻の被災地に伺って、いやもう圧倒されました。

【玄侑】あのあたりは津波が川を遡って内陸まで入ってきてしまったんですね。5キロも離れていれば津波も弱まるだろうと思っていたので、逃げ遅れた方も多かったようです。あれはもう波じゃないですね。津波の波長が200キロから300キロあったというんですから、もう海がそのまま押し寄せてきたのと一緒ですよね。

【山田】玄侑さんは「自然とは絶対に想定内に収まらない」と書いてらしたけど、実際に被害の跡を見て、自然の力の凄まじさに身震いしました。

【玄侑】今回の大震災では、放射能汚染に絶望して自殺する方も多いんです。うちの檀家さんでも、もう6人もの方が自殺しています。

【山田】それは痛ましい……。

臨済宗僧侶、小説家 
玄侑宗久氏

【玄侑】極端な言い方かもしれませんが、たとえ津波でも、自然に死ぬということはとても貴いことのような気がするんです。ただ自殺は……。そんなことを考えているとき、先生の書かれた『空也上人がいた』を読みましてね。介護の現場が舞台なんですね。27歳のヘルパーの青年と、彼に恋心を抱くケアマネジャーの中年女性、さらに彼女に不思議な欲望を覚える老人。小説として凄みを感じましたし、自殺ということについても、あらためて考えさせられました。

【山田】僕も『中陰の花』、それから『四雁川流景』や『龍の棲む家』を拝読しました。『四雁川流景』や『龍の棲む家』では、ひとつの町を構想して書いてらっしゃいますね。それがとても作品の快い背骨になっていることに感銘がありました。福島で育って、東京へお出になったり、修行をしたりなさって、また自分の土地に戻って生きている人の力強さ、安定感みたいなものを感じます。もちろんご信仰がおありなんで、その力もあってのことでしょうけれども。