世界文化遺産への登録が決まった富士山は、日本有数の活火山である。円錐形の美しい山の麓には清らかな湧き水があり、太古の姿を残す森林も広がっている。その富士山を30年にわたって研究してきた地質学者が、豊かな自然を余すところなく紹介するガイドブックを刊行した。

科学者としての正確な観察と、自然美を観賞するみずみずしい感性に彩られた記述は、文系と理系の両方に深い造詣を持つ著者ならではの「作品」と言っても過言ではない。

富士山麓から山頂をめぐる7つの案内コースが用意され、それぞれに付けられた詳細な地図が、初めて富士山を訪れる人々の敷居を低くしてくれよう。さらに、冒頭に用意された16ページのカラー口絵が、実際の情景をあざやかに見せてくれる。著者の富士山を愛する思いが行間にあふれ出た力作である。

富士山は美しいだけではない。今から300年ほど前には大噴火を起こし、江戸の街に厚さ3センチメートル程度の火山灰を降り積もらせた。また。約2900年前には山頂近くが崩れて大量の土砂が麓を覆い尽くしたという激甚災害も起こしている。火山災害を専門とする著者は、富士山が噴火した際の危険性についても随所で説く。すなわち、「恵み」だけでなく「災害」をもたらす荒ぶる富士山の姿を正しく伝える役割を本書は担っている。静岡大学防災総合センター教授としての著者の誠実な仕事が、ここにも表れているのだ。

著者は富士山をはじめとする自然遺産の保存にも尽力する。たとえば、有名な「白糸の滝」などに関して、「滝というスポットだけを守る発想では無理がある。滝を成立させた自然のプロセスを深く理解し(中略)エリア全体を保全対象とする必要がある。さらには、そうした自然の驚異をていねいに解説し、その価値の理解と保護意識を広めることも必須である」と書く(220ページ)。近年、自然の事物や風景とともに地域社会の歴史や文化を保全する「ジオパーク」構想が活発化している。いずれ富士山がジオパークの認定をめざした場合、本書はその解説書としても好適だろう。

普段いそがしく時間に追われているビジネスパーソンにこそ、日本人にとって心の大切な拠り所である富士山を訪れてほしいと、評者は常々希望している。その際に新書版の本書は携行に打ってつけではないかと期待する。

本書は地球科学的な観点から富士山の成り立ちについて過不足なく解説するだけでなく、防災としての役割も十分に果たしている。実は、世界文化遺産に決定した後の富士山では、登山者が急増してきた。その結果、噴火という自然災害だけでなく、多人数が山に押しかける際の危険性が指摘されている。何ごとも美しいものには危険が伴うことを知る意味でも、本書を繙(ひもと)いてから富士山への旅を計画していただきたいと評者は願う。