私だけ生きていていいのか

ダライ・ラマ14世

東日本大震災では、亡くなった人も不幸ですが、生き残った中にも「自分は不幸だ」と感じている人がいるでしょう。津波によって、自分の家はもちろん、家族を失い、1人だけ生き残ってしまった人の中に、「(将来のない)自分が生きていていいのか」とひどく絶望している老婆がいると聞きました。未来を託した若い家族を失い、筆舌しがたい絶望を感じたのでしょう。

自分が高齢者であるのに、若い家族全員を失う。今は「救われようがない」といった感覚に陥っているかと思います。

しかし、そのご老人は、家族はなくしたかもしれないが、1人ぼっちになったわけではありません。私は、日本社会の中で、そのご老人がご近所の方や友人から助けを得るだろうと確信しています。だから、自分は孤独だと思うべきではありません。そう感じる必要はないのです。

私はいつも、70億人の人類みんなを兄弟姉妹だと思っています。私は行った先々で出会う人たちを「彼らは私たち人類の兄弟だ」と思うのです。私は、簡単に人に対して親密な感覚を抱けます。いとも容易に、何の問題もなく。そう、みんな同じ人類だからです。

ところが、「この人たちとは文化も違う、言語も違う、信仰も違う」と考えてしまうと、壁をつくってしまいます。すると、頻繁に孤独を感じるようになる。

先のご老人も心に壁をつくってしまうと、孤独に陥ってしまい、「私なんか生きていても……」と考えるようになるかもしれません。前に述べたとおり、日本人には助け合いの精神があります。深く傷ついた心も、誰かにつながることで癒やされることでしょう。

苦しみに対して、それに目を近づけて見ると、視界が塞がれて、やたらとその苦しみは大きく見えるものです。同じ苦しみでも、遠くから眺めるようにすると、自然と周りのものが見えてきます。たったこれだけのことで、状況は大きく変わるでしょう。