完全燃焼できたのか、ということである。どこか中途半端な気持ちがあったのだろう。敗戦の夜、ホテルで泣きながら、選手たちと一緒になって、招致委会長の石原慎太郎都知事(当時)に訴えた。もう1回、五輪招致にチャレンジしてください、と。

「アスリートは1回であきらめてはいけない。何事も、できるまでやるんだって。ははは。たしか石原さんの目もウルウルしてきて、もう1回やっていただけると思った」

荒木田は日本に戻ると、選手たちのネットワークづくりを始めた。それまでオリンピアン(五輪選手)はJOCと同じく文部科学省管轄、パラリンピアン(パラリンピック選手)が厚生労働省管轄との区別があった。が、荒木田はそんな垣根をとっぱらい、JOCのアスリート専門部会にパラリンピアンをオブザーバーで加えた。

アスリートをネットワーク化し、五輪パラリンピックの勉強会を発足させた。オリンピアンでも国内にはざっと4000人はいる。パラリンピアン、アスリートを加えると、無数の人が全国各地にいることになる。そのパワーを結集させるのだ。

「おたくの町内の五輪選手を発掘してくださいって。その地元の選手たちにも盛り上げてもらって、うねりをつくっていく。オリンピックムーブメントってスポーツを通じて世界平和に貢献しようということだから」

面倒見のよさは生来のものだろう。自然と周囲から慕われる。JOCのアスリート専門部会では選手たちから「隊長」と呼ばれる。先日も「隊長、ついていきます」と言われた。苦笑しながら説明する。

「“あなたが、先、行ってよ”って。わたしもう、シニアメンバーだから。つい最近まで“おネエ”だったり、“ママ”だったり、もうたまらない」

選手に対応する際、大事にしているのが「平等」と「情報の共有」である。

「トップアスリートは個性が強いけれど、わたしは個性には合わせない。ただ、みんな平等に扱っている。オリンピアンもパラリンピアンもノン・オリンピックの選手も、みんな一緒なの。そして情報は必ず、全員で共有する。いいも悪いも、ありとあらゆる情報をみんなに流す。隠し事は嫌いなんです」

情報が偏ると、互いに疑心暗鬼になったり、陰口をたたいたり、ロクなことがない、と言う。メールでも、情報はほとんどを一斉送信する。

あまりパソコンを見ない人たちには、携帯電話にショートメールを送る。〈メール入れました。パソコンみてください〉と。