フレームワークが一致している間柄の場合、コミュニケーションはどうなるだろうか。我々日本人が好む心の動きに「以心伝心」がある。いちいち言葉で説明を加えなくとも、わずかの情報から相手を推し量り事を進める姿に、美点を認めるのである。「1を聞いて10を知る」とも言う。

以心伝心の例として興味深い逸話がある。19世紀フランスの作家ビクトル・ユゴーが『レ・ミゼラブル』を刊行したときのことだ。ユゴーは出版社の社長に本の売れ行きを尋ねるため、以下の手紙を送った。

「?」

すると社長からこういう返事がきた。

「!」

つまり、『レ・ミゼラブル』の売れ行きはどうだろうか? という問いに対して、爆発的に売れている! と返ってきたのである。世界一短い手紙のやり取りとして有名な話だ。

ここでは、2人の間に新著の刊行という共通の話題があったので、こうした離れ業が可能となった。極端に単純化した応答でも、意思疎通ができたのである。このようにフレームワークが完全に一致する場合には、言葉さえも必要としない。

しかし、これは特例なのだ。フレームワークの違いが見えずに行動すると、大失敗する。以心伝心には基本的な落とし穴があると考えたほうがよい。

江戸時代のように何百年も安定していて変化に乏しく社会の範囲が狭い時代には、多くの人が同じフレームワークで生きていた。士農工商の身分が固定されているため、つき合う人の幅が小さく、多くの人は生まれて死ぬまで同じ土地で暮らしていた。こうした時代には、以心伝心も不可能ではなかったのである。

しかし、現代は至る所でグローバル化が進み、情報が過剰になり、世代間や職業間での差異が昔よりはるかに大きくなった。その結果、人々のフレームワークをつくる背景が、全く異なってしまったのである。離れた地域や宗教間でのコミュニケーションも必要となり、世界標準の仕事が当たり前の時代だ。

よって「以心伝心」「1を聞いて10を知る」という美徳は、もはや通用しないと認識しなければならない。フレームワークの異なる人との間で意思疎通を図るには、面倒でもきちんと言葉に出して確認する必要がある。