課長になれるのは全従業員のわずか6~7%

あるテレビコマーシャルである。

「お父さん、課長さんになったのよ」
 ――親子で夕食の準備中。
「課長さんてえらいの?」
「そうね、新幹線の運転手さんくらいかな」
「わー、すごいなあ」
「そう、すごいのよー」
 ――背景で、父、今日もお客さんに懸命に謝っている。帰りの電車では、つり革につかまったまま寝ちゃいそう……。そして、父が玄関に。
「パパ、おかえりー」

以前流れた某生命保険会社のCMである。ほのぼのとした雰囲気の中で、家で母子がお祝いを準備しながら、課長に昇進したばかりの父の帰りを待っている。少し前であったら全く自然に感じられたであろうこのCMのトーンに多少の違和感をもちつつ、私にとっては妙に印象に残ったCMだった。

なぜならば、課長になるということが本当に“すごい”ことなのかが最近わからなくなってきたからである。

多くの企業が、組織をフラット化し、管理階層を少なくする中で、課長がほぼ最初の管理職ポストである。それまでに短期プロジェクトのリーダーになったり、また後輩の育成担当になったりして、部下のような存在をもった経験はあったとしても、管理職として本格的に評価責任がある部下をもつのは、ほぼ初めてのことが多い。言いかえると、多くの人にとっては現在、課長になることは、管理職への最初のステップなのである。

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図1 役職別人員比率の推移

また図1にある企業内管理職比率の推移を見ると、従業員全体に占める課長比率は、2000年以降6~7%台で安定しており、相変わらず“狭き門”なのである。ちなみに、この数字は、従業員規模1000人以上の企業における、全従業員中の課長・部長比率なので、例えば、大卒同期入社の中で課長になることができる人の割合となれば、この数字より高いことが予想される。それでも一説には、おおよそ30%程度がどこかの時点で課長まで昇進し、残りの人は役職への昇進なしで定年を迎えると言われているのである。もちろん企業間で幅があり、一般的なことは言えない。

課長になるというのは、稀で名誉なことなのである。その意味で、CMの母子の言葉は多くの日本人の感情を反映していると思われる。課長になるというのは“すごい”ことなのである。

ただ、問題は仕事や待遇の中身である。課長というポストに就いたからには、それだけの権限と資源や裁量を与えられ、課の目標を設定しながら、部下を率いつつ、部門の戦略目標達成に貢献していく。また報酬もそれなりのものをもらっている。課長になるのが、本当に“すごい”ことならば、そうした姿が予想されるが、はたして今の課長はこうした感覚をもって仕事をしているのだろうか。私はこのCMを見て、興味をもったのである。