2011年度、日本航空は、予想を超える好業績をあげることができましたが、リストラに取り組んでいたあの1年は、会社が明日もあるのかわからないなか、今日を乗りきることで明日が見え、明日のことは明日考えるしかないような精一杯の毎日でした。最近は数字の結果だけを見て、「会社更生法を適用すれば誰でも利益をあげられる」という声も聞きますが、そのたびに辞めていった仲間の顔が浮かび、その無理解にやり切れない思いをしています。

リストラのさなか稲盛会長に「やっぱり苦しいです」と打ち明けたことがあります。それに対し「君の大義はどこにある。残った社員とその家族の生活を守ることが、君に与えられた大義ではないのか。大義をしっかりと背負ったとき、人間は本当に強くなれるんだよ」と言われ、沈んだ心が鼓舞されました。目先の理屈や情にとらわれるのではなく、何を志して役員になったのかをもう一度考えなさいと。

「会社を再生させる」という自分の内にある大義、正しいと信じた道を進むしかないんだ、ということを学んだのです。稲盛会長と仕事をすることで、自分の信念を貫き通す勇気、そしてリーダーのあるべき姿、人間としての生き方を教えていただいたのです。

仲の良かった同僚やお世話になった先輩たちともぶつからなければならなかった厳しいリストラでしたが、海外の航空会社に転職したパイロットで「イスタンブールで嫁さんと楽しく過ごしています。第2の人生をありがとう」とメールをくれた人もいます。僕に対する慰めかもしれませんが、「別の道を歩んでみたら、これはこれで楽しいものだ」と仲間が別の地で活躍しているのを聞くのは嬉しい半面、どこか切ないものです。

我々は、会社を辞めていった人ばかりでなく、破綻の過程で金融機関や株主さまをはじめ多くの方々にご迷惑をおかけいたしました。「お詫びと感謝」、それは、社員全員が一生忘れることはありません。まだまだ日本航空は道半ばですが、再建を実現することで、ご迷惑をおかけした皆さま、心ならずも会社を去っていった方々の気持ちに応えること。これが僕の大きな責務だと考えています。

日本航空 代表取締役社長 植木義晴
1952年、京都府生まれ。父親は俳優・片岡千恵蔵。75年、航空大学校を卒業し、日本航空(JAL)入社。2010年、執行役員(運航担当)、12年2月、社長就任。
(吉田茂人=構成 奥谷 仁=撮影)
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