宗教学者・文筆家 島田裕巳氏

2011年3月11日の東日本大震災をきっかけに、無縁という言葉の持つイメージも急変した。この日、三陸海岸や仙台湾沿いを有史以来の大津波が襲い、街を根こそぎに壊し、万を数える犠牲者を流し去った。

親戚縁者の全員が津波に呑まれ、1人だけ生き残った人もいるだろう。その人こそ本当の無縁である。

これに対し『無縁社会』が提起したのは、桁違いにささやかな「無縁」である。たとえば、都会で長く1人暮らしを続けたため遠くに住む肉親と没交渉になってしまったとか、リストラや定年によって職場との縁が切れ、それきり誰とも接触せずに暮らすようになったというケースである。

これらは自ら選択した末の「無縁」であり、生きているうちは当人の行動しだいで回復できる余地がある。ところが、親や子を津波で流された人は絶対に回復することができないのだ。

一方、未曾有の大震災は社会の各所にさまざまな障害をもたらした。たとえば、東北の部品工場が被災したため自動車の生産がストップするとか、製紙工場の稼働が止まり、雑誌の発行が延期されるといった思わぬ事態が次々に出来した。

社会は相互に無縁ではなく、依存し合いつながり合っている。トラブルの続発を受けて、私たちはそのことを改めて意識するようになったのだ。

さらに大災害は、私たちの中に容易には消えぬ共通体験をもたらした。地震の被害はほとんどないといっていい東京でも、3月11日当日はJRや地下鉄、私鉄の全線がいったん運行を止めたので、当夜は帰宅難民と呼ばれる人たちが大量に発生した。

私自身も新宿から世田谷区の自宅まで徒歩で帰った。同じように西へ向かって歩く人で通りはいっぱいだった。

このときに感じたのは「個人と個人との敷居が低い」とでもいうべき不思議な感覚だった。つまり、ちょっとしたきっかけさえあれば、私たちは無縁から有縁へと簡単に移行できるのである。