つまりあの番組は、遅れてやってきた演歌ないしフォークソングなのである。映像作品なので、ミュージックビデオといったほうが適当かもしれない。NHKのドキュメンタリーとしては珍しいくらい徹底して情緒的な演出がなされたが、本質が演歌だと考えれば納得がいく。

ただ、そうだとしたら、番組内容がそのまま現実を反映していると考えてはいけないだろう。

では、現実とは何か。

NHKは番組への反響を受けて、新たに『無縁社会-新たな“つながり”を求めて』を放送した(11年2月)。ところが、番組やネット上の反応によると、とくに若い世代の視聴者は、無縁社会や無縁死について、さほど深刻にはとらえていないことがわかったのだ。

傍目には孤立して生きているように見える若者も、実際には格別の寂寥感を抱えているわけではなく、無縁死を恐れているわけでもない。番組で紹介された密室からWEBカメラでコミュニケーションをしている人たちも、基本的には好きでやっているのであり、本人たちは自己表現のつもりである。

その後ツイッターなどで流れた情報によれば、多くの人は、表面的な現象をとらえて哀れだといわれるのは心外だと考えている。つまり無縁社会、無縁死を大問題と見なしているのは、むしろ番組製作者のほうだといえるのである。

そこで、ふと気がついたのは、NHKという巨大組織に勤める人たちの心象風景だった。全国紙や大手金融機関などと同じく、NHKの職員は全国の地方拠点へ辞令ひとつで異動していく。

慣れ親しんだ土地を離れるのは辛いことだ。しかもNHKの場合、学年の区切りとは関係のない時期に定期異動があるため、子供をともなう場合はさらに大変である。子供の教育を考え、単身赴任を選択する人も少なくないという。

そうやって全国を転々とさせられる人たちは、自らを「根無し草」と感じているはずである。それでも高度成長期なら、就職や進学のために自分の土地を離れ、都会や工場地帯など別の土地へ移住する人がたくさんいた。根無し草の不安を持っていたのは、大組織のエリートだけではなかったのだ。