私は来日して30年になりますが、とくに昨今は「景気が悪くて大変だ。昔はよかった」と嘆く人が目立ちます。しかし、その人たちが「景気がよかった」というバブル期はどうだったでしょうか。みんな儲けるために汲々(きゅうきゅう)とし、非常に神経質で、ヒステリックな時代でした。


ブッダの言葉をいまに伝えるパーリ語の経典。右/スッタ・ニパータ(経集)、左/ダンマ・パダ(法句経)。東京・幡ヶ谷にある日本テーラワーダ仏教協会では、パーリ語の読経や瞑想を体験できる。
http://www.j-theravada.net/

ふり返って「よかった」という時代も、その時代はその時代なりに大変だったのです。つまり、生きることは常に大変なのです。

人生というのはいつも緊急事態です。毎日毎日、その場でその場で、判断し対応するよう努めなければなりません。

仕事や家事をしていても、いつもイライラ焦ってしまうと悩んでいる人がいます。それは、先のことをアレコレ考えてしまうからです。あるいは、過去にできなかったことを思い悩んだりしているからです。「やらなければならない」ことを妄想していては、キリがありません。

また、私たちは希望をもちたがります。将来のことはどうなるかわからないのに、あれこれ未来を想像し、専門家にも予測を求めます。予測することで安心したいのです。しかし実際は予測どおりになるわけはなく、予測が外れた、希望が裏切られたといって怒り、落ち込むのです。

私たちは、現実的には「いま」の瞬間だけを生きています。何をするにしても、いまこの瞬間にすべきこと以外はできません。何をすべきか、どの課題に集中すべきかということは、「いま、ここ」のことならはっきりわかるはず。過去を悔やんだり、未来の心配をしなければ、解決方法を発見し、それを実行することも容易にできるのです。

常に、いまやるべきことに取り組めば焦りは生まれません。仕事や家事なら、たとえば十分刻みで、そのとき必要なことを順々にこなしていけばいいのです。いまの10分より先の10分は存在せず、過ぎてしまった過去の10分も存在しないのです。現実に存在する、いまこの10分で、やるべきことを精一杯やるしかないのです。やり遂げればその度に喜びが生まれます。その小さなユニットを繋げることを人生とすればいいのです。

人は「生きる意味は何か」と問いたがりますが、意味はありません。問う必要もないのです。とにかく生きる。ただ、その瞬間をしっかり生きるだけです。