いまの学校はバイクを禁止することによってバイクの問題をなくそうとする。バイクの例をとれば、いかに安全にまた人の迷惑にならずにこれを乗りこなすかを教えるのが教育の本質ではあるまいか。いまの学校は、教育者が「見たくない」ものを見えなくしたり、禁止したりすることによって少年を非行に追いやっているのではないだろうか? 「禁止」すれば教師は、自分たちの責任からはずせると思っているフシがあるのではないか。社会人になって「禁止」の制約がはずれたとたんに、若者たちが狂ったようにそうしたことをすべてしてしまう、その結果人生がめちゃめちゃになる、というのでは、学校が欠陥製品の製造の助長をしていることになる。